紫陽花の思い出

紫陽花の季節ですね。中高と学んだ学校の中庭にたくさん咲いていた青色の紫陽花。見つけて思わず写真にとりました。入院で長く学校を休んだ時、級友がお見舞いにその紫陽花を母に手渡してくれ、母はそれを庭に挿し木にしました。

紫陽花はみごとに大きくなり、学校を卒業した後も毎年「あの頃」を思い出させてくれました。代が変わり、実家の庭も様変わりして、紫陽花も今ではありません。

早世した友は、紫陽花の花びらを摘んで、上から木工ボンドをかけ(乾くと透明になった)紫陽花の便箋のようなものを作っていました。今のように便利な物がない時代、彼女の発明?に驚いたものでした。私も真似して作った押し花(?)がすっかり変色してはいますが、日記帳に残っています。

紫陽花は昔を思ださせてくれる花です。

三ツ星クリーニング店

もう30年近くお世話になっていたクリーニング屋さんが閉店します。ご兄弟で営んでいた昔ながらのクリーニング屋さんで、丁寧で安く、信頼できるお店でした。いつもお店にいる弟さんが具合が悪そうにしていたのは昨年の初めで、癌を患っているとのことでした。夏の終わりに「また入院する」と伺い、身体の痛みが限界の様子で、かける言葉がありませんでした。秋に亡くなり、今年の春にお店を閉めることになったのです。

衣替えの時に行くだけでしたし、寡黙な方でしたが、気候の話をし、衣服の繊維のことや取扱いを教えてくれました。無理な注文も快く引き受けてくれました。扉を開けると作業中の奥の部屋から出てくる姿が今も思い出されます。深くは知らなくても、いつもそこに行けば会える、そんな人が居なくなるのは本当に寂しいことです。

クリーニングの仕事は本当にきつい仕事です。そしてこうしたお店は段々に姿を消して行きます。実直で働き者、最後までプロ技術に徹したクリーニング屋さんのことを忘れません。

さよならTam

1年間の研修で日本に来ていたベトナム人の女の子、Tam。彼女にボランティアで日本語を教えました。勤勉な彼女は来日する前に読み書き(かな、カタカナ)はほぼマスターしており、漢字も上手でした。後はしゃべりだけなのですが、そこがなかなかです。ベトナムの方は共通語(英語)をしゃべれないのでお互いの会話に苦労しました。

1年間の滞在がコロナで2年間となり、色々な場所を案内することもままならず残念でした。私に娘がいたとしても、それよりはるかに若いTam。別れは辛くいつまた会えるか分かりません。それでも出会えたことに感謝。若いTamの未来が幸せであることを願います。

小さな刺繍

刺繍をほどこした物が好きです。自分でする時は適当でもなんとかごまかしが利きます。着慣れたブラウスに小さな刺繍。また違った感じで楽しめます。100均で購入した巾着袋が出来る刺繍キット。袋にしないで同じく100均の額に入れて。

梅仕事の終了

今年は家時間が長くあったせいで梅仕事をいつもより多くしました。シソジュースで始まり、梅ジュース、梅ジャム、梅の甘露煮。そして最後にはちみつ梅干しです。梅雨明けにザルd干して、食べごろは年末くらいだそう。楽しみです。

TOKYO2020

オリンピックの自国開催決定から8年。思い描いていたオリンピックとは違った形になりました。

1963年の東京オリンピックの時は小学1年生でした。唯一覚えているのは三宅選手の重量挙げ。皮肉屋の父が手放しで喜んでいました。記念コインは両親が買ったもの。青春が戦争中だった両親、そして両親だけでなく全ての国民が日本の平和と復興を実感した時であったでしょう。

色々な意見、思いがあるでしょうが、始まったのですからあの時と同じようにテレビの前で応援したいです。