ピータラビット

先日2018年制作の「ピータラビット」実写映画を観ました。CGやアニメはあまり好きではないのですが、素晴らしく面白い作品でした。ウサギたちの動きやモフモフ感がリアルで、驚くと共に物語に入り込んでいけます。

思えばビアトリス・ポターのピーターラビットはキャラクターだけで、物語までは読んでいなかったことに気がつきました。映画のおかげでピーターは私の中で動き出しました。

ずい分前にポターにあこがれてイギリスの湖水地方に行ったことがあります。ポターが晩年を過ごした、ニア・ソーリー村にあるヒル・トップという小さなコテージを見学することが出来ます。庭で私のことをお子ちゃまだと思って近づいて来たピータの着ぐるみと記念写真。

最近、イギリスで買ったピータラビットの小さな置時計を何度も落としてピーターやお母さんの耳が欠けてしまい、諦めて捨てる所でした。映画を観てから粘土で耳を作って簡単な修理をしました。

120年前に生まれた物語。この映画をポターが知ったらどんなに驚き喜ぶでしょう。

コラージュ スカート

Pinterestで見かけ手作りスカート。

レース、刺繍、モチーフなど色々な物をコラージュのようにして、とても素敵でした。沢山たまっていた手芸小物を使って私もやってみました。

「どこに着て行くのか?]は問題ではなく、ただただモチーフを作り配置を考える時間が楽しい。

こうしたら、ああしたらのアイディアが次々に浮かんできます。

西村玲子さんのこと

西村玲子さんを知ったのは雑誌『私の部屋 1977年秋の号』の『ロンロンママ』でした。以来、沢山のエッセイを出されて、私はおしゃれ、手作りはもとより、楽天的な文章に元気をいただきました。

闘病されていたのは知っていましたが、今年1月に逝去されたと知り本当に残念でなりません。奇しくも昨年1月に故郷大阪の百貨店で西村玲子さんの個展が開かれました。そこで思い切って手に入れた原画は、私の宝物です。30年余り前にも大阪の百貨店で個展が開かれたことがありましたが、その時は私も若く余裕が無く、心を魅かれながら購入することは叶いませんでした。

自分の中に物を選ぶ基準があるとしたら、それは玲子さんの影響が大きいです。そして、おしゃれや流行だけでなく文学や映画にも造詣が深かった玲子さん。「玲子さんのお薦めのものなら何でも素敵!」と思っていました。これからも玲子さんのお薦めの本、映画をゆっくり味わって生きていきます。

玲子さん、ありがとうございます。

アップル君、れんげちゃん、悲しみを乗り越えて元気で幸せに!

 

キリスト教だけど・・・

お盆ですね。カトリック信者ですけれどお盆は好きです。祖母が生きていた頃、毎年、迎え火、送り火をしました。幼いながら厳かな気持ちになりした。

この数日間、亡くなった方々が傍にいると思うとうれしくなります。以前観た「メゾンドヒミコ」という映画。ゲイの人たちのシェアハウスで、お盆におはぎを作ってたりお供えを飾ったりして亡くなった方々を迎えるシーンはとても心に残りました。

齢を重ねると思い出の人が多くなります。ひとりひとりの写真を見ながら「いつも見守ってくれてありがとう。また来年会いましょう。」

さようなら小さなスーパー

fuji家の近くの小さなスーパーが閉店となりました。
スーパー激戦区ともいわれるこの地域に、大型チェーン店ではない小規模のスーパーは生き残りことが出来ませんでした。
それでも大抵の物は揃いましたし、なにより家から5分もかからないのは足の悪い私にとってはありがたいものでした。
レジも3つほどですが、店員さんはカートを押す私の籠をさりげなくカウンターに運んでくれました。
買い物客が顔見知りの店員と言葉を交わします。
買い物をしたお年寄りがゆっくり歩いて帰って行きます。
あの方々はこれからどこで買い物をするのでしょう。心配で胸が痛みます。
始まった軽減税率にしても、なんだかお年寄りがいつも置いてきぼりになっているような気がしてなりません。

原爆の歌

irei74年前、8月6日に広島、9日に長崎に原爆が落とされ15日に日本は終戦をむかえました。
母は原爆を体験したことはないのに、よく原爆の話をしました。
話の最後に歌う原爆の歌。
「原爆許すまじ」作詞:浅田石二、作曲:木下航二
それは幼かった私の心に深く根付きました。
今年の4月。母の三回忌で故郷に帰った時のことです。
法要の日の朝、ホテルの近くの公園に散歩に行きました。
大きな沼のある公園はランニングや散歩の人々がたくさんおられました。
公園の中に原爆の碑がありました。それは広島、長崎で被爆した県民の慰霊のために被爆40周年を祈念して昭和61年に建てられたものでした。
少し離れたベンチで休んで居た時、あの原爆の歌が聞こえてきました。
ご婦人が碑の前で歌っているようでした。
姿を探せど、歩き去る後ろ姿のみ。
毎朝の散歩の折に遠く離れたこの地に原爆を受けたどり着いた方々に思いをはせ、祈り歌っているのでしょう。
母と同じ歳のころのご婦人。折しも三回忌に母から送られたメッセージのようでした。
戦争の体験者も記憶も少しずつ薄れて来ています。
でも「戦争を忘れないで、二度と繰り返さないで」と切に願います。