「映画」カテゴリーアーカイブ

ピータラビット

先日2018年制作の「ピータラビット」実写映画を観ました。CGやアニメはあまり好きではないのですが、素晴らしく面白い作品でした。ウサギたちの動きやモフモフ感がリアルで、驚くと共に物語に入り込んでいけます。

思えばビアトリス・ポターのピーターラビットはキャラクターだけで、物語までは読んでいなかったことに気がつきました。映画のおかげでピーターは私の中で動き出しました。

ずい分前にポターにあこがれてイギリスの湖水地方に行ったことがあります。ポターが晩年を過ごした、ニア・ソーリー村にあるヒル・トップという小さなコテージを見学することが出来ます。庭で私のことをお子ちゃまだと思って近づいて来たピータの着ぐるみと記念写真。

最近、イギリスで買ったピータラビットの小さな置時計を何度も落としてピーターやお母さんの耳が欠けてしまい、諦めて捨てる所でした。映画を観てから粘土で耳を作って簡単な修理をしました。

120年前に生まれた物語。この映画をポターが知ったらどんなに驚き喜ぶでしょう。

この世界の片隅で

suzuロングラン上映中の「この世界の片隅で」を観て来ました。
資金の一部をクラウドファンディングで作られた作品です。
アニメはあまり得意ではなく、最近大ヒットの作品もピンとこなかった私ですが、これはとても心に届きました。
悲惨さや涙を前面に出さないで、戦時下の人々の日常を静かに描いています。
どんな状況の中でも小さな喜びがあり、それを見つけることが出来るのだという、人の強さと優しさを思いました。
原作者は1968年生まれ漫画家のこうの史代さん。
こうのさんの代表作「夕凪の街 桜の国」は書店で何度も手の取ったことがありますが、何となく怖くて尻込みしていました。
この若い作者が戦争、原爆を語り継ぎ、それを受け取ろうとする多くの人々。
作品と共に、この事実に希望を感じたのでした。

映画「さざなみ」

sazanamiどうしても観たくて一人で観てきました。
観客のほとんどが中高年の女性。
結婚45周年の祝いのパーティの1週間前、結婚前に雪山で遭難した夫の恋人の遺体が発見され、夫婦の間にさざ波が起こります。
亡くなった女性に嫉妬?それも45年も連れ添った夫婦の間に起こる?
それほどまでに夫を愛する事が出来るのは幸せだという、少し冷めた気持ちで帰途に着きました。
しかし何か心につかえるものが…、子供の存在です。
この夫婦には子どもが無く、恋人のおなかには子どもがいたのではないかという思いです。
伏線は最初からありました。教え子の子どもの話し、友人の子どもや孫の話し、見せられる写真、夫の、OB会で息子の自慢をする友人への嫌悪感など。
夫の恋人への執着は、そのまま家族を持つことへの憧憬。それが妻は許せなかったのではないでしょうか?
一緒に乗り越え、違う形で築いてきたつもりの45年が崩れるような。
「男性は過去の恋愛が忘れられない」とか、「結婚に幻想を抱いている若い監督の作品だ」というレビューもありましたが、子を持たない私はそんな風に思いました。、

近藤喜文展

jiburi先日友人に誘われて近藤喜文展に行って来ました。
近藤氏は「火垂るの墓」「魔女の宅急便」「紅の豚」「耳をすませば」を手掛けたアニメータです。
絵コンテ、原画、スケッチなど500点が並ぶ会場を見て回りました。
世界に認められる日本のアニメーション技術は、私が幼少期に見ていたアニメ―ションと違うことは分かっていましたが、絵画さながらの背景には驚かされました。
私自身は、このリアルな背景に、デフォルメされた人物が登場するのに多少の違和感を感じましたが、だからこそアニメーションの世界に深く入り込みめるのかも知れません。
デフォルメされているとはいえ、キャラクターの繊細な表情、動きは多数のスケッチで練られていました。
中でも「火垂るの墓」で、妹が持つドロップの缶と兄が持つドロップの缶を比較して書いているスケッチは印象的でした。
全ての作業に緻密で妥協の無い技を感じさせられたのです。
47歳で惜しまれながら早世した近藤喜文さん。
彼のアニメを見て育った若者が、これからも活躍して行くことでしょう。

映画「ルルドの泉で」

rurudo先日「ルルドの泉で」という2009年のオーストリア、フランス、ドイツ合作映画をネットで観ました。
ルルドの泉は、1922年フランスのルルドの村で少女ベルナデッタに聖母マリアが出現し、洞窟の傍の水溜りから水が湧き出し、この水を飲んだ人々の中で病が治る人が現れ、全世界に知られるようになったキリスト教の聖地です。
巡礼者であふれるルルドの村が、観光地のように映し出される映像はとても興味深いものでした。

映画はこの地を訪れた全身麻痺の少女に奇跡が起こり、それによって巻き起こる同じ巡礼団の人々、介護の人々の驚き、戸惑い、不満、嫉妬の感情が描かれています。
そして奇跡が本当に起きたか分からないままラストを迎えます。
一見人間の本性を暴いたようにも見えますが、私には「普通の生活がしたい」という少女に対して、「普通とは何ですか?何故他の人が幸せだと分かりますか?」と説教する神父の方が胡散臭く思えました。

個々の事情や思いで巡礼をするのでしょうが、キリスト者は痛みや苦しみに向かう力を与えられることを信じて、「み旨でしたら癒される事」を願って訪れるのだと思います。
キリスト教の数々の「奇跡」の話しは、私にはさほど重要なものではありませんが、「ルルドの水」に対する気持ちは同じです。

ディスパレートな妻たち

dispa8年も続いたNHKの海外ドラマ「ディスパレートな妻たち」が終了してしまいました。
あまりドラマは見ない方ですが、これだけは毎シーズン楽しみにしていました。
主人公の4人はそれぞれが個性的で愛すべき女性でした。
そして何よりその4人をつなぐ友情がこのドラマの魅力でした
全く現実味のない、スキャンダラスなドタバタな筋書きもありました。
しかし一方で、心を打たれるストーリー、場面も沢山ありました。
ある回では主人公たち皆が関わった「便利屋さん」が急死し、各々が彼に窮地の時に助けられたことを回想する話で、「勇気を持っておせっかいをする」ことの大切さが伝わってきました。

昔「大草原の小さな家」や「ビバリーヒルズ高校生白書」に熱中し、それが終わった時のような気分を思い出しました。
楽しみがひとつ減ってしまい残念です。