「未分類」カテゴリーアーカイブ

独眼竜の白内障手術

eye私の目は専門用語では「唯一眼」「ラストアイ」と言われるもので、片目の視力ほぼありません。
残った見える方の大切な目が白内障となり、とうとう手術を決めなければならない時が来ました。

私の白内障は水晶体の外側の皮質という部分から濁る皮質白内障で、濁りが水晶体の中央に広がるまで視力に影響がないため、ここまで来るのに10年以上かかりました。
人工レンズには調整機能がゼロだということが、老眼が始まったばかりの自分には想像できない恐ろしいことでした。
何軒もの眼科を回った結果、この病院で手術をしようと決意したのは、検査スタッフが個々の事情や希望に寄り添ってくれる姿勢があったからです。
手術自体は安全で簡単なものとなった今、入れるレンズ選びが一番重要だと思っています。
私も術前に色々と調べましたが、焦点距離で悩んでいる人のなんと多い事。
最後は自分自身で決めなければならないことですが、一緒に考えてくれる人がいるのは心強いことでした。

色々悩んだで、近視の強い私は近くも遠くもそこそこ見える所(1メートル)に焦点を置きました。
結果、多少老眼が進みましたが、メガネ無しも生活が出来そうです。

世界は明るく、はっきりと見えるようになりました。
今まで視力がある程度あり見えると思っていた世界は、まるで見えていなかったことが分かりました。
新しい目に感謝!
この感動を忘れず行きたいと思います。

自分のためにお茶と音楽を

tea親の介護と、自分の問題がかさなって気持ちが沈んでいた時、友人が手伝いに駆けつけてくれました。
彼女は片付けしながら、食器棚からカップを選び、きれいに洗ってお茶を入れ、CDをかけて音楽を流しました。

生きている間にはさまざまな問題があり悩みは尽きません。
それが一時的ですぐに解決できることならまだしも、苦しい状況が長く続くと、心は疲弊します。
余裕が無くなった心と体を立て直すためには、自分が心地よい、楽しいという時間を意識して持つことだと思います。

自分のために一杯のお茶、音楽の大切さを感じました。
分かっていても中々できない事ですから、時には人を巻き込んでも空気の入れ替えをする。
次の機会に自分がお返しをすればいいことだと思います。

バタフライで泳ぐ

butterfly水泳のバタフライに挑戦し始めてから10年ほど経ちます。
教室でドルフィンキックまで習いましたが、途中で中断。その後は個人的に2,3回レッスンを受けたものの泳げるようにはなりませんでした。
動画を見て、何度も頭でシミレーションしても、泳ぎ始めると手も足もバラバラになり、何をしているかさえ分からなくなりました。
それでも四泳法をマスターしたいという気持ちが捨てられず、練習を続けてきました。
そして最近とうとう25メートルを泳げるようになりました。
フォームはまだまだですし、身体に力が入り肩こりもひどいです。
しかし他の泳法と同様、自分のものにすれば、それほど苦しくも、疲れもしないはずです。
いくつになっても、あきらめないいればいつかは夢はかなうと思います。

盲人の方への声かけ

symbol東京メトロで盲導犬を連れた男性がホームから転落し亡くなったニュースには胸がつぶれる思いでした。
盲導犬には絶対に声をかけてはいけないというマナーが周知され、犬の気が散らないように人にも声をかけてはいけない、また盲導犬を連れているから大丈夫という考えてしまいがちです。
そもそも盲人の方にどうやって接するかを知る機会もない、教える場もないような気がします。
先日も電車待ちをしていたところ、電車が入って来た時、突然後ろから白い杖をついた女性が現れて、入ってきた電車のドアの場所と違う方向に進んでいきました。
思わず軽く体に触れて「こちらですよ」と誘導してしまいました。
弱視の方だったようで「すみません」と言ってすぐにドアが分かりましたし、そのままドアの端に立っておられたので「後ろの席が空いてます」と声をかけると、「ありがとうございます」と座ってくださり、降りられる時も丁寧にお礼を言っておられました。
数駅の間でしたが、私は体に触れずにドアの位置を「もう少し左です」と言うべきだったとか、降りる駅が同じだったら、どうやってお手伝いすればいいのだろうかと、まさにパニックでした。
その後、サイトで盲人の方の誘導に仕方を色々調べましたが、これが実際に使えるといいのですが・・・。
事件の後、新聞でも盲人の方への接し方を何度か掲載していました。
少の知識と、勇気で臆せず声かけをと思います。

リオ 頑張る人

rioリオオリンピックも終盤になりました。
選手の熱い闘いに、時には涙を流しています。
真摯でひたむきさな姿に心を揺さぶられ、ここまで来る為の彼らの努力が痛いほど伝わってきます。
自分もかつては少なからず持っていたものが、いつしか「あきらめ、挫折、言い訳」にすり替わってしまったことを思います。
好きなで面白いと感じて始めたことも、いつかどこかで投げ出したくなる。
やり遂げる過程が苦しいのは当たり前でしょう。
「面白しろくもあり苦しくもあること」に挑戦していくのが人生なのかもしれません。

終活

pama海外に住んでいる従妹が伯母の住む一軒家を始末することになりました。
それも滞在できる限られた時間で…。
寿命が長くなりました。豊かになり物が増えました。
身内の物を捨てたり、始末したりするのは本当につらいことです。
出来れば本人がその手で始末して欲しい。
断捨離とか終活とかいう言葉がさかんに使われるようになったのもその所以でしょう。
しかし若い人なら平気で出来ることでも、執着を捨てることが死の恐怖を意識させるのか、思っている内に時間が経ってしまうのか。
思い出の品々と決別することは、実際には難しいようです。

昔、親戚の家が解体するのを、見たことがありました。
たまたまバス停の前であったので、バス待ちの間に偶然見ることになったのです。
それは元々は私自身が育った家でした。
思い出の家が壊されて行く感慨よりも、おしゃれな伯母が自慢していた、当時は本当の珍しかった、美容院にあるような「おかま型」のドライヤーが、瓦礫の中でぽつんと立たづんでいたのが、本当に悲しく切なかった。
そして家とドライヤーの最期を私が見届けたような気持ちになったのです。