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さようなら小さなスーパー

fuji家の近くの小さなスーパーが閉店となりました。
スーパー激戦区ともいわれるこの地域に、大型チェーン店ではない小規模のスーパーは生き残りことが出来ませんでした。
それでも大抵の物は揃いましたし、なにより家から5分もかからないのは足の悪い私にとってはありがたいものでした。
レジも3つほどですが、店員さんはカートを押す私の籠をさりげなくカウンターに運んでくれました。
買い物客が顔見知りの店員と言葉を交わします。
買い物をしたお年寄りがゆっくり歩いて帰って行きます。
あの方々はこれからどこで買い物をするのでしょう。心配で胸が痛みます。
始まった軽減税率にしても、なんだかお年寄りがいつも置いてきぼりになっているような気がしてなりません。

原爆の歌

irei74年前、8月6日に広島、9日に長崎に原爆が落とされ15日に日本は終戦をむかえました。
母は原爆を体験したことはないのに、よく原爆の話をしました。
話の最後に歌う原爆の歌。
「原爆許すまじ」作詞:浅田石二、作曲:木下航二
それは幼かった私の心に深く根付きました。
今年の4月。母の三回忌で故郷に帰った時のことです。
法要の日の朝、ホテルの近くの公園に散歩に行きました。
大きな沼のある公園はランニングや散歩の人々がたくさんおられました。
公園の中に原爆の碑がありました。それは広島、長崎で被爆した県民の慰霊のために被爆40周年を祈念して昭和61年に建てられたものでした。
少し離れたベンチで休んで居た時、あの原爆の歌が聞こえてきました。
ご婦人が碑の前で歌っているようでした。
姿を探せど、歩き去る後ろ姿のみ。
毎朝の散歩の折に遠く離れたこの地に原爆を受けたどり着いた方々に思いをはせ、祈り歌っているのでしょう。
母と同じ歳のころのご婦人。折しも三回忌に母から送られたメッセージのようでした。
戦争の体験者も記憶も少しずつ薄れて来ています。
でも「戦争を忘れないで、二度と繰り返さないで」と切に願います。

手袋のゆくえ

tebukuro電車の中で二人分の席を占領して若い男性が爆睡していました。
次の停車駅に着くと、慌ててドアが閉まる寸前に降りていきました。
座席には残された手袋。
ホームで彼も気が付いたのか、あたふたした様子が見えましたが時すでに遅し。
手袋はそのままで2駅先の終点に着きました。
一部始終を見ていた私は、手袋を拾って駅に届けようかと思っていました。
その時、降りた彼の隣に座っていた若者が手袋をつかんで降りて行きました。
そしてそのまま駅の事務室に入って行き、状況を説明して事務員に渡しているようでした。
茶髪で少しヤンキーぽい若者でしたが、その心使いに感心しました。
手袋が持ち主に戻ることを願いつつ、去っていく彼の後姿に拍手!

届かなかった手紙

letter12年前、私達夫婦の共通の知人が急死しました。
5月の連休明け7日のことでした。
いつもおかしな事を言って人を笑わせるムードメーカーでした。
長い間会うこともありませんでしたが、喪中はがきで知り、慌てて奥様にお手紙を出しましたところ、4月に新しい職場の責任者となり張り切っておられ、7日の朝、出勤後に会社で倒れそのままということでした。
奥様の悲しみが伝わる文面でした。
それからは5月の連休の度に旅立った友人の事を思い出します。
7回忌に思い切って手紙を出しましたが、手紙は届きませんでした。
6年間の間、どのように過ごされたのか、悲しみは癒えたであろうか思いはつのります。
3回忌にお手紙を出していたらと悔やまれます。
時に思いだけでは伝わらないこともあります。
ご遺族にとって「いつまでも忘れません」という言葉は少しは慰めになったのではと…。

折しも今日は朝日新聞阪神支局襲撃から31年目。
小尻記者と同じ歳の私。
あの年、私は結婚して初めてのゴールデンウィークでした。
ご遺族のために祈ります。

流行っているの?

toire最近「流行っているの?」と思う事があります。
それはトイレに入ると、前に使用した方がトイレペーパーを三角に折っていること。
自分だけかも知れませんが、この頃良く気が付きます。
さすが「おもてなしの国」。
真似して自分もやってみましたが、三角に折るのが結構難しい。
それと「ご親切に」と思う反面、やってみて「?」という違和感がありました。
それが何か分からなかったのですが、ネットで調べて納得しました。
ノロウイルスの感染防止のため、「トイレペーパーを三角に折らないでください」という張り紙がしてある病院があるということです。
考えてみればもっともな事かも。
他の人の事を考えるという点ではすごくいいと思うのですが、難しい…。
取りあえず、綺麗に使うことでいいのではないでしょうか。

独眼竜の白内障手術

eye私の目は専門用語では「唯一眼」「ラストアイ」と言われるもので、片目の視力ほぼありません。
残った見える方の大切な目が白内障となり、とうとう手術を決めなければならない時が来ました。

私の白内障は水晶体の外側の皮質という部分から濁る皮質白内障で、濁りが水晶体の中央に広がるまで視力に影響がないため、ここまで来るのに10年以上かかりました。
人工レンズには調整機能がゼロだということが、老眼が始まったばかりの自分には想像できない恐ろしいことでした。
何軒もの眼科を回った結果、この病院で手術をしようと決意したのは、検査スタッフが個々の事情や希望に寄り添ってくれる姿勢があったからです。
手術自体は安全で簡単なものとなった今、入れるレンズ選びが一番重要だと思っています。
私も術前に色々と調べましたが、焦点距離で悩んでいる人のなんと多い事。
最後は自分自身で決めなければならないことですが、一緒に考えてくれる人がいるのは心強いことでした。

色々悩んだで、近視の強い私は近くも遠くもそこそこ見える所(1メートル)に焦点を置きました。
結果、多少老眼が進みましたが、メガネ無しも生活が出来そうです。

世界は明るく、はっきりと見えるようになりました。
今まで視力がある程度あり見えると思っていた世界は、まるで見えていなかったことが分かりました。
新しい目に感謝!
この感動を忘れず行きたいと思います。