日航機事故を忘れない

JAL

日航機墜落事故から今年で30年が経ちます。
節目ということなのでしょうか、新聞でもご遺族の方々の手記を目にすることが多くなりました。
何年経とうが、ご遺族の方々の心には区切りなど無いことが痛切に伝わります。
1985年。あの年は私が結婚した年です。
11月の結婚式を控え、お盆で大阪から帰省した婚約者(夫)と、私の両親とで夕食をとっている時にテレビニュースで一報が入りました。
翌日、新居の家具を見に行ったショッピングモールで、大型スクリーンに映し出された川上慶子さんを見たのでした。その時の衝撃と安堵をはっきり覚えています。
同時に、幸せの真っただ中にいる自分と対極にいる方々のことを強く実感し、決して忘れられない出来事となりました。

今も残してある新聞記事には「極限の恐怖の中で人々は救命胴衣を着けるのに
手を貸合った」とありました。
520人の方々の御霊が永遠の安らぎの中におられますように。
ご遺族の方々に1日でも多く、笑顔の日がありますように。
関わった全ての方々にも、心の平安がありますように。
切に祈ります。